投擲競技において合理的なフォームとは

先日インスタグラムにてこのようなDMをいただいた。

私はただの投擲マニアであって特に技術論に一家言あるというわけではないのだが、投擲選手であれば気になる方も多いのかもしれない。ひとまず自分の考えを整理し、競技姿勢について悩む人たちの指針(参考でも反面教師でも)となれば言うことはない。

これが正しいというわけではなく、あくまで投人個人の見解だという点に留意されたし。

投擲に求められる技術とは

投擲における技術─スポーツである以上大同小異はあれど、基本的には個人の体格や身体能力に紐づいて構成されるものと私は考えている。したがって、何を以て合理的と見なすかは個人の見解によるところが大きく、一概に定義することは難しい。

体格の良い選手であれば高身長、長いウイングスパン、高い筋力に瞬発力…。これらの要素を活かせるような、大きく力強い動きができるのであれば自分の強みを理解した“合理的な”フォームであることは間違いないように思う。

しかし、超一流に昇りつめるような選手─大台突破や金メダル獲得するほどの境地にたどり着くには、単に合理的というだけでは不足がある。彼らは才能を開花させるまで努力を積み重ねたエリート層の上澄みも上澄みであり、技術一つとっても非常に洗練されている。いくら立派な体格や筋力を持っていようと、それを発揮できる技術なしに頂点は獲れない。世界一を争う選手はみな、程度の差こそあれ凡庸な人間のそれを大きく凌駕する素質を持った選りすぐりの精鋭たちである。

”合理的なフォーム”を言葉通りに捉えると、投擲物に大きな力を加えるための効率的な動きを指していると考えられる。非の打ち所がない流麗で芸術的なフォーム(これを仮にタイプAとする)と、改善の余地はあるが基礎を抑えた上での大きな動き(仮にタイプBとする)。

これらをあえて誇張して表現させてもらうと、タイプAはパワー×技術の乗算の投げ(掛け算=能力を飛躍的に引き上げる)、タイプBはパワー+技術の加算の投げ(足し算=大幅な記録向上は望みにくい)、といったところか。どちらも合理的には違いないが、その差は顕著であり、記録という形に表れる。

各要素が渾然一体でグラデーションとなっているのがA、積み重なっているのがB(投人のイメージ)

持っている力をそのまま投擲物に伝えるのがB(=フィジカルに大きく依存)だとすれば、選手自身の運動能力や身体操作によりプラスαの力を加えるのがA(=全ての要素を駆使・発揮し大きな力を生む)ではないかと私は考えている。

フィジカルがいくら優れていようと技術が追いついていなければ記録はすぐ頭打ちになる。例えば、20歳で68m24を投げて注目されたローレンス・オコイエ(Lawrence Okoye)は、ロンドン五輪の後NFLに挑戦し、長らく円盤投げから離れたキャリアを歩んでいた。陸上に復帰したのは2019年、20代後半になってからであるが、今なお2012年当時のベストを更新できていない。

NFLでは怪我などもあり思うような活躍ができなかったオコイエだが、筋力的には現在の方が間違いなく強いだろう。2021年のインタビューでは「2012年時よりも体が仕上がっている」とオコイエ自身が発言しており、アメフトの経験が身体能力にも瞬発力にも寄与していると語っている。

しかし、東京・オレゴン・ブダペストではいずれも予選敗退。欧州選手権で銅メダルを獲得し復帰後のベストを67m14まで戻してきたことはブランクを踏まえれば称賛に値するが、恐らく本人も自己記録がここまで遠いとは予想していなかったのではないか。実際、NFL挑戦を宣言した際に「円盤投げのピークは20代後半だからそれまでに復帰すれば戦える」という主旨の発言をしていた。

投人の陸上図書館をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む