ユニークなキャラクターで親しまれている砲丸投げ選手、ニコラス・ポンツィオ(イタリア)が先月末、突如引退を発表し投擲界を騒がせた。これまで引退理由の明言を避けてきたポンツィオが、ついに事の顛末を語った。
居場所申告義務への抵触
彼が引退を決意したのは、「アスリートは常に居場所を報告しなければならない」という居場所申告義務に違反し、二年間の資格停止処分を受ける可能性が生じたことによるものであるという。
この居場所申告義務という規則では一定の期間内で選手が(検査を行うための)居場所の申告漏れを累積三度犯した場合、ペナルティとして違反薬物に陽性反応を示した時と同様の処分が下されることになっており、近年では世界陸上ドーハの100m金メダリスト,クリスチャン・コールマン(アメリカ)が抵触し実際に処分を受けたことでも知られている。
ただしポンツィオの場合は、コールマンのような怠慢によって生じたケースとは事情が異なる。先日引退発表の際にインスタグラムで“forcefully pushed out of the sport”と語っていたポンツィオ自身、この処分に対し不本意な口ぶりを隠さない。
不可抗力による違反累積
事の発端は今年2月、ミルローズゲームズ開幕の数日前のこと。ポンツィオの携帯電話が故障したのである。画面がブラックアウトし、一切の操作を受け付けなくなってしまった。
居場所申告義務のこともあり、連絡手段である携帯の修理か交換の二択を迫られたポンツィオは試合の前日にベライゾン・ワイヤレス(携帯キャリア1米通信大手ベライゾン・コミュニケーションズの子会社)の店舗を訪れたが、「(保存されているデータは)サルベージになるかもしれない」とのことでiPhoneのメーカーであるアップルに取り次いでもらうことに。
アップルに曰く携帯の故障はアップデートエラーによるものであり、iPhone12では同様の報告が他の顧客からも確認されていたという。
しかし「修理は可能だがデータが全て失われる可能性がある」と伝えられたポンツィオは、これはまずいと再びベライゾンへ急ぎ交換対応で急場を凌ぐことにした。
交換に際しアップルIDの移行作業を行おうとしたが上手くいかない。アップルの担当者に頼んでセキュリティ関連の質問に答え復旧を試みるも「一ヶ月はかかる」との回答。
イタリアでは居場所申告のために「Adams」というアプリの使用が義務付けられており、アカウントに紐づいた端末でなければアクセスができないためこの時点でポンツィオは事実上申告手段を失ってしまったのである。
アカウント復旧の方法としてパスワードリカバリーを試みるも「Adams」に保存された情報が古くアクセスに失敗。それならばと今度はパスワード復旧を試みるも、復旧に必要なメールアドレスも古く、半年前に失効してアクセスができなくなっていたものだった。
誰かと相談しようにも、イタリア陸連関係者との連絡手段として利用していた「WhatsApp」も故障と共に使用できなくなった結果、ミルローズゲームズからイタリア選手権までの数週間は他のSNSアプリから連絡先の回収に走ることとなったのだが、この行動が裏目に出てしまった。
イタリア選手権の後、欧州室内選手権に向け準備をしている最中に所属するクラブの代表から「居場所申告義務違反が認定されたようだ」と告げられた。当然ポンツィオは抗議し、これまでの経緯を説明したが解決せず。
復旧に躍起になっている間に「居場所申告」を怠ったと見なされ、違反認定されたのである。昨年違反認定を受けていたこともあり、今回で二度目の違反だった。まずポンツィオが取るべき行動は陸連担当者に直接連絡を取ることであった。
ポンツィオは「然るべき手順を踏まなければならないと思っていたのでそんなことができるとは知らなかった」と弁明。
心にわだかまりを抱えたまま、欧州室内は19m83で予選敗退。「キャリアの中でも最悪の試合だった」とポンツィオ。
その直後、気落ちする間もなく三度目の違反認定を受ける。すぐに抗議するも認められず違反が確定。わずか二週間の間に二度も違反認定を受けてしまったことになる。
違反が確定すれば最大二年間の資格停止処分という非常に重い罰則が科されることになる。不本意ながら自らの非を認めて示談に持ち込めたとしても、最大でも12か月までの軽減しか認められない上に軽減自体がレアケースだと、ポンツィオの弁護士は語る。
こんなことをしてもクリーンスポーツを維持できるわけでもないし陸上が発展するわけがない。検査を逃したことも、逃れようとしたこともなければ陽性反応を示したこともないのに違反者と同じ二年なんておかしいよ(ポンツィオ)
先行きが不透明な今回の騒動だが、イタリア陸連や世界陸連の公式見解・対応次第で今後居場所申告義務というルールに新たな細則が追加される可能性もある。
引退は撤回すべきか
当サイト管理人の個人的な見解を示すならば、やはり罰則が厳しすぎるように思える。ポンツィオ本人の言い分を信用するなら情状酌量の余地は十分にあると考える。
一方で、ポンツィオも居場所申告の重要性を理解していながら後手に回ってしまったのは脇が甘かったと言わざるを得ない。このルールは実際に薬物使用しているかどうかではなく、検査逃れをしない・自分はクリーンアスリートであるという証明のためにあると思われる。
確かに怠慢で三度違反を犯したコールマンのようなケースは疑惑の目を向けられても、選手自身の潔白を守るための規則であると考えれば致し方ない面もある。ポンツィオも昨年に違反認定された経験があるのだから、いわれなき罪を被せられる前に考えうる最善手を取るべきだった。今回の件では陸連担当者に直接確認するというのがそうだ。
したがって不可抗力によって生じたケースとはいえ、彼自身にも全く非がないわけではなく、無罪放免とはいかないだろう。アメリカの司法取引ではないが、ドーピング違反を犯した場合でも捜査に協力するなどして処分を軽減することはできるが…。
選手自身に説明責任があるとはいえ、陸連側も緊急時の対応を周知するなど選手を守る啓蒙活動を行うべきだったとも言える。
アスリートは常日頃から厳しいトレーニングに加え、体内に入れるものから自分の居場所まで監視されるという窮屈な生活を強いられている。クリーンスポーツの為にルールの厳格化は避けて通れないが、選手も一人の人間。もう少し寛大な処置を期待してもいいのではないか、と贔屓目に見てしまう人も少なくないだろう。
最低でも12ヶ月というのはピークを迎えつつある選手にとっては酷であり、なるべく軽い処分に収まるよう関係各位に取り計らってもらいたいものではある。