エリヨン・ナイトンはコーチとの出会いで陸上の道へ【100m/200m】

エリヨン・ナイトンはアメリカの100m・200mを専門とする短距離選手。200mの自己ベストは19秒84であり、これは20歳未満の世界記録である。

エリヨン・ナイトン(Erriyon Knighton)

国籍 アメリカ

出身 フロリダ州タンパ

所属 My Brother’s Keeper Track Club

種目 100m・200m

生年月日 2004年1月29日

身長 191㎝(6’3)

体重 77kg(170 lb)

自己ベスト 100m-10秒16(-0.3/2021年)・200m-19秒84(0.3/2021年/U20世界記録)

代理人  John Regis11993年世界陸上シュツットガルト大会200mの銀メダリスト。・Ramon Clay (Steller Athletics)

 

来歴

すぐに見初められた才能

陸上を本格的に始めたのはHillsborough高校に入学してから。

高校入学当初は、アメリカンフットボールのワイドレシーバーとして活躍が期待されていた四つ星の新入生であったが2ESPNの格付け。国内では141番目とランクされたが、247sportsでは四つ星・No.23のワイドレシーバーと評価した。、ナイトンの走力に目を付けたオフェンシブラインコーチ兼陸上部のヘッドコーチJoseph Sipp氏に「陸上でもかなりいいところまで行けるかもしれない」と勧誘され陸上選手としてのキャリアが始まった。

「自分はただのアメフト選手」と当初は乗り気でなかったナイトンだが、Sipp氏の熱烈なアプローチにより「オフシーズンに調子を保って速くなれるならいいか」と陸上の大会に出場するようになった。

16歳になる前に陸上転向を決意。高校一年(15歳)のシーズンでは100m-10秒66,200m-21秒15を記録し、州大会の200mでは決勝に残り5位入賞を果たすなど輝かしい成績を残した。陸上歴一年にも満たないナイトンの活躍は大いに注目を集めた。

32021年3月2日のノア・ライルズとのTwitterスペース会話参照2019年AAU国内ジュニアオリンピックでの金メダル獲得を契機に陸上に本格的に取り組むようになり、翌年コロナパンデミックの渦中にSipp氏とともにフロリダAAUトラッククラブで数か月トレーニングを積んだ。

アメリカンフットボールでも俊足を活かしたマルチプレーで活躍を見せたナイトン

ジュニア時代のボルトを超えた超逸材

2020年、ナイトンの身長は大きく伸び191㎝に。身体の成長に伴い記録も大幅に更新することになる。

サテライトビーチにて行われたジュニアオリンピックで200m-20秒33(0.3)のアメリカ16歳年代別新記録4従来の記録はDaBryan Blantonが2001年にマークした20秒37をマーク。ウサイン・ボルトが持つユース世界記録(20秒13)までもあと0.2まで迫る快記録である。

続く100mでも10秒29(-0.4)の好記録を叩き出し一躍歴代トップに躍り出るパフォーマンスを見せた。なお、コロナウイルスの蔓延により主要大会の開催が断念されていた中、半年ぶりの出場での記録更新である。

2021年一月アディダスと10万ドルを超えるプロ契約を結ぶ。D1校からのアメフトオファーも全て断った。

プロ転向を勧めたのはAAUでナイトンを指導したJonathan Terry氏で、「20m差をつけて勝っているのに高校でまだなすべきことがあるか」と問われたことでナイトンはプロ転向を決意したという5ナイトンは最後に高校の仲間と一緒に走って州大会を勝った上で、陸上に専念することに同意した

プロ転向のため背中を押したテリー氏(写真左)

 

既にオリンピック開幕から200日を切っていたためすぐトレーニングを開始。

熾烈な五輪選考会を切り抜けるため、トレーニングだけでなく自分やライバル6ノア・ライルズやフレッド・カーリー,ケニー・ベドナレクなどの走りを動画で徹底的に分析した。

 

5月には追い風参考ながらアメリカの高校生史上三人目の9秒台をマーク(9.99/+2.7)。

 

勝負の五輪選考会

強豪ひしめく全米選考会、ナイトンは物怖じせず規格外のパフォーマンスを連発。準決勝ではドーハ世界陸上の金メダリスト、ノア・ライルズに先着し19秒88(1.1)のU20世界新記録をマーク。ウサイン・ボルトが長年保持していた19秒93をも塗り替える大記録7ジュニア時代のボルトを17歳の時点で上回ったであった。

決勝ではさらに記録を更新し、19秒84(0.3)で三着に入り東京五輪の代表権を獲得した。アメリカ男子選手の17歳での五輪出場は1964年東京大会のJim Ryun以来最年少となった。

この頃からナイトンが“ネクストボルト”として強く認識されるようになり、世界陸上アテネ大会の200m金メダリスト、アト・ボルドン8ナイトンのスター性に関しては依然懐疑的である。ナイトンはTVのインタビューに消極的であり、ボルトのようなショーマンやカリスマのあるスターになるには“そういうことも必要”だとボルドンは主張は「ナイトンは19秒7か6も可能」とした上でオリンピックチャンピオンに輝く可能性も示唆。ナイトンの活躍は国内外から高い評価を集めた。

実力者のフレッド・カーリーを抑え三着を死守したナイトン(6レーン)

 

200m金メダリストも太鼓判

17歳での初五輪

17歳で初出場となった東京五輪では落ち着いた様子で競技に臨んだ。予選4組を20秒55でトップ通過すると、準決勝では最後流す余裕を見せ20秒02の準決勝1組一位通過。

この時、北京五輪のボルトのように横を確認する素振りも見せた。

史上最年少で200mファイナリストになったナイトンだが、決勝では19秒93(-0.5)のサードベストをマークするも4位に終わった。表彰台を占めたのはアンドレ・ドグラス(カナダ)を始めとする国際大会経験豊富な選手たち。

銅メダルのノア・ライルズ(アメリカ)が19秒73だったことから概ね順当な結果であったと言える。

目標だったメダル獲得こそならなかったものの、一緒に走った選手たちはナイトンを高く評価。銀メダルのケニー・ベドナレクは「今後怖い存在になる才能に恵まれた選手」とし、銅メダルのノア・ライルズは「今後はもっと驚かせるようなパフォーマンスをしてくれるのではないか」と舌を巻いた。

 

メダル獲得こそならなかったが、ボルトでさえなしえなかった17歳での4位入賞は世界にセンセーションを巻き起こした。

【200m年次ベスト比較】多くの共通点を持つナイトンだが現時点ではボルトを上回る成長速度

2022年
バミューダゲームズでは100mに出場し予選10秒61(-5.9)で一着、決勝はジェローム・ブレイク(カナダ)に先着されたがノア・ライルズと同タイム着差ありの10秒39(-5.6)で二着に入った。

4月30日のLSU Invitationalでは200mで19秒49(+1.4)のU20世界新を樹立し、従来の19秒84から0秒34も記録を縮めた。この記録は世界歴代4位に相当する好記録であり、マイケル・ジョンソンが保持するアメリカ記録19秒32(1996年)の更新も期待させるほどのパフォーマンスであった。

エピソード

陸上選手として活躍する傍ら、アメフトでも自慢の俊足を武器に活躍。フロリダ大,フロリダ州立大,アラバマ大などの“D1校”からも特待生のオファー9他にもイリノイ大,アイオワ州立大,テネシー大,トレド大からのオファーがあったという。がくるほどであった。

Hillsborough高校のアメフトコーチEarl Garcia氏はナイトンの俊足とゲームメイク能力を高く評価しており、適正はワイドレシーバーだとしながらもフィールドのあらゆる場所でナイトンを展開することが珍しくなかった。

ガルシア氏は「いつでも戻ってきていい」とアメリカンフットボール復帰への道をナイトンに残している

 

ナイトンは元々極度の遠視で、それを見かねたアメフトコーチの一人Earl Garcia氏が眼鏡とコンタクトをプレゼントしたという。

Hillsborough高校の校内新聞によると、ナイトンの生活は今のところ至って普通。実家を往復したり祖父母やいとこの家を訪ねたり母とボーリングで遊んだりするなど高校生らしい暮らしをしている。ちなみに人生初の車にDodge Chargerを買うと夢見ているそうだ。

代理人John Regisに対しては「僕を長期的な成功へ導くための準備を整えてくれた。僕の力を信じてくれたし、彼らの誇りになれる時が楽しみだよ」と感謝を述べている。

Regis氏はナイトンについて「ポテンシャルの塊だ。ハングリー精神があり、(成功に)必要なものは備えている。」

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