ボブ・バーテムスはルクセンブルクの砲丸投げ選手。ルクセンブルク記録保持者(22m22)。
ボブ・バーテムス(Bob BERTEMES)
国籍
種目 砲丸投げ
投法 回転
生年月日 1993年5月24日
身長 187㎝(6’2)
体重 127kg
自己ベスト
砲丸投げ:22m22(2019, NR)円盤投げ:61m06(2019, NR)
叫び声:アアアァァァーッ!
来歴
幼少期
ルクセンブルク南西に位置する、ベルヴォーという小さな町で育った。5歳の時に陸上に触れ、6歳になると兄と同じ地元の陸上クラブに入部。
12歳の時にトレーニングセンターへ入所すると、当時のコーチに投擲種目への適性を見出された。砲丸投げ、円盤投げ、やり投げを試してみたところ、砲丸投げで最も良い感触を得ることができたという。
そして15歳の時、砲丸投げを専門種目に選んだ。
プロアスリートとしてのキャリア
2013年から軍隊に所属するプロアスリートとして競技活動を開始した。この年には18m78のルクセンブルク記録を樹立。翌年には19mの壁も乗り越え、19m36まで記録を伸ばした。
2015年、自身初の世界陸上となった北京では19m87で予選敗退するも、決勝まであと7㎝と健闘した。
2017年、シーズン初期に自己ベスト20m63をマークするも、その後は不振に喘いで19m台や18m台に留まっていた。
世界陸上ロンドンでも力を発揮できず19m10であえなく予選敗退(31位)。
でも自分にとって良い教訓になったし、ロンドンは人生のターニングポイントだと思っているよ
苦境を打開すべく、同年9月に長年指示を仰いでいたSonia Ilievaとの関係を解消し、母国ルクセンブルクからマンハイム(ドイツ)の五輪施設に拠点を移した。それと同時にアルクワティコーチ(Khalid Alqawati)と新たな関係を築き始めた。
それまでグライド投法で投げていたバーテムスだったが、アルクワティの勧めで回転投法に転向。
2018年はインドアシーズンこそ低調だったものの、アウトドアシーズン初戦で結果が出た。3月の大会で20m56をマーク。一年ぶりの20m台であった。
その後も20m前後で記録が安定するようになり、8月の欧州選手権で21m00を投げ自身初の21m台を突破。決勝進出し6位入賞を果たす。
でもすぐに良い感触をつかめるようになり、回転のほうが大きな力が加えられるようになったよ。
回転投法への転向だけでなく、精神面での成長も記録向上の大きな一因だった。
競技中も心にゆとりがもてるようになり、よりリラックスした状態で試技に臨めるようになった。
「2018年は大きな自信が持てるようになった。」
ブレイクスルーと苦渋
翌2019年、回転投法への転向と新天地でのトレーニングは順調に進んでいた。インドアシーズンは安定して20m台を記録し、21m台も再びマーク(21m03、室内記録)。
同年6月、自身の持つルクセンブルク記録を26㎝更新する21m29をマーク。同時に東京五輪の参加標準記録21m10も破った。
国内新は嬉しいし、標準も破ったから喜びも二倍だね。
22mクラブへ仲間入り
回転への転向が順調だったとはいえ、本人も予想だにしていなかった大記録が誕生した。
世界陸上ドーハを直前に控えた8月上旬、突如22m22のルクセンブルク新をマークし、22mプッターの仲間入りを果たしたのである。
2019年は史上最も多く22m台が記録された1987年を彷彿とさせる好記録ラッシュに沸いていた。
22m74をマークしたライアン・クルーザー(アメリカ)を筆頭に、22m台をマークした選手が既に6人。バーテムスはその年7人目の22mプッターであった。
上手くいけば21m60は投げられるとは思っていたんだけど。
屈辱の予選敗退
世界ランク8位で迎えたドーハ大会。目標はまず決勝へ進むこと。
もし予選通過すれば、全種目を通じて初の決勝進出という快挙が期待されていただけに、プレッシャーが重くのしかかった。
一投目、明らかに力んで34.92度の有効ライン外から右に出てファウル。
続く二投目も19m台。その間に予選通過ラインは上がっていき、ついには通過標準記録20m90を投げなければ決勝進出が出来なくなるところまでラインが上がってしまう1歴史上はじめて、予選通過者が12名出たことによる。過去の大会であれば、上位12人にさえ入れば通過ラインを超えずとも決勝に進むことはできた。。
後のない三投目。渾身の力を込めた投擲も振るわず、19m89で予選敗退が決まった。
世界ジュニアに出場した時も決勝で記録なしに終わっており、大舞台での勝負強さに未だ難があるようだ。
家族
両親はハンドボールの選手だった。
バーテムス曰く「肉体面は父から、精神面は母から受け継いだ」という。
エピソード
4か月の間だけ軍隊の訓練に参加したことがある。現在は競技活動のみに専念しており、式典など公での場面でのみ軍隊に参加する。本人にとっては良い思い出であり、自分自身のことやストレス下での対処など学ぶことが多く、それは競技にも活きているという。
10年後何をしているかと聞かれると「まだ現役を続けたいという気持ちもあるし、コーチになっている可能性もある」と答えた。
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