ヨハネス・ベター(Johannes Vetter)はドイツのやり投げ選手であり、2017年世界陸上ロンドンの金メダリストである。フェッターと表記されることもある。
2020年現在、ドイツ記録保持者・世界歴代2位・現役世界最高記録保持者(97m76)。愛称は“Jojo(ヨヨ)”。
Profile
ヨハネス・ベター(Johannes Vetter)
国籍
種目 やり投げ
生年月日 1993年3月26日
身長 188㎝(6’2)
体重 105kg
自己ベスト やり投げ:97m76(2020)
叫び声:ウァァァァーッ!
獲得メダル
世界陸上選手権 | ||
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金 | 2017 ロンドン | やり投げ |
銅 | 2019 ドーハ | やり投げ |
動画でわかるヨハネス・ベター
30分ほどのドキュメンタリー風紹介動画です。
来歴
1993年3月26日、ドレスデン生まれ。陸上を始めたきっかけは両親に勧められたことから。ヨハネス少年はとにかく元気が良かったそうだ。2000年のシドニー五輪をテレビ観戦し、両親に向かって「あれに出たい」と“宣言”した。16歳の時にやり投げを始めた。
高校は地元ドレスデンのエリート校であるSportgymnasium Dresden(スポーツハイスクールの意)に進学。
一時は引退も考えた時期があったが、18歳の時に行われた欧州ジュニア選手権2011では決勝に進出し12位。
高校卒業後はサクソニーの州警察へと進んだ。
合宿でドイツのやり投げナショナルコーチであるボリス・オーバークフォル1旧姓ボリス・ヘンリー。世界陸上やり投げで二度の銅メダルを獲得した名スロワーであり、世界陸上モスクワ大会金メダリストのクリスティーナの夫としても知られる。また、かつてはマティアス・デ・ゾルトのコーチングも行っていた。との関係を深めたベターは次第に彼とトレーニングしたいという願望が芽生えていった。
ボリスとやりたいんだ。それが最善の結果をもたらしてくれると確信しているからね。彼の知識のみならず、競技会でのメンタルコントロールにも感心したんだ。それに彼は世界クラスの選手だったから世界で戦うことがどういうことなのか理解している。
当時80m付近を投げるのがやっとで70mを下回る試合もあった。
技術的な行き詰まりを感じ、地元での成長はこれ以上期待できないと悩んでいたベターはドレスデンから離れることを決意し、ボリスの指導を受けることにした。
ボリスとトレーニングができるオッフェンブルクはドレスデンから600㎞も離れており、警察官への道を断たれることも意味していた。彼にとっては非常に大きな決断であった。
そして2014年オッフェンブルクに移住。
「アスリートにとって好ましいプログラムを備えている」との理由から軍隊に所属し、国から支援を受けるスポーツソルジャーとして競技活動を行うことにした。
こうしてボリスの元でトレーニングを積むことになったベター。
2014年までのベストは79m75にとどまっていたが、2015年は環境を変えたことで大きなブレイクスルーを果たす。
ボリスに師事してからは技術的な変更もたくさん加えた。必ずしもすんなりできたわけではない。これまではある方法で投げろと叩き込まれてきたけど、やがてボリスが望むような投げができるようになってきたよ。
自己記録を85m40まで伸ばし、この記録で「ボリスについてきて良かった」との実感を得たベターは、その年の北京世界陸上では83m79で7位に入賞し世界クラスの選手としてのキャリアを歩み始めた。
2016年は念願のリオ五輪に出場しメダルまであと一歩の4位(85m32)と着実にステップアップ。
試合後のインタビューでテレビカメラを前に泣き出したベター。だがその涙はメダルを逃した悔しさではなく、オッフェンブルクプロジェクトに参加できたことによる感謝・安堵・誇らしい想いからであった。
2017年
ベターはこの年、さらに飛躍を遂げる。7月11日にスイスのルザーンで94m44の大投擲を放ったのである。
これはヤン・ゼレズニーの世界記録(98m48)に次ぐ世界歴代2位の大記録であり、また自身初の90mスローでもあり、そしてドイツ新記録でもあった。
しかし大会一週間前に椎間板ヘルニアを発症。さらにドイツ勢のメダル独占が期待される重圧や個人的な懸念がベターを悩ませていた。
というのも、母カースティンが脳腫瘍の手術を受けたが容態が芳しくなかったのである。
不安には思いつつも「ロンドンでのパフォーマンスを向上」させるモチベーションとしてとらえたという。
医療チーム、特にかかりつけの整骨医による三日間のケアにより、痛みと右肩のこわばりを感じながらも世界陸上ロンドンでは89m89で初優勝。これまでリオ五輪金のトーマス・ローラーの影に隠れていたが、一躍やり投げ界のスターダムに躍り出た。
試合後電話したところ、母はとても喜んでおり気分も優れているという。「これが自分にとって大きな瞬間であり、金を獲って凄くハイになった理由の一つなんだ。(ベター)」
大会前、ボリスの妻クリスティーナから激励の手紙をもらっていたという。
(クリスティーナ)コレを今日手に入れるの!金を獲るのよ!(実際に)取れたのなら、あなたにふさわしいってことなのよ。
故郷であるドレスデンには思うところがあるのか、勝利に際しこのようなことも口にしている。
ドレスデンの人たちは今に後悔するだろうね。そうするべきでもある。ドレスデンには全て置いてきて、新天地では完全に違う方法でやっている。ドレスデンにいた頃は俺の才能や成績に見合った評価はされていなかったように思うんだ。
2018年
欧州選手権は太腿の怪我で数週間休養を余儀なくされた上で出場。
83m72の5位に終わり、銅メダルとは2メートル以上差をつけられての惨敗だった。
2019年
腰や内転筋の怪我に悩まされていたベター。それに加え左足軟骨損傷によりトレーニングも満足に消化することができず、試合にもあまり出られなかった。
(世界陸上は)回避した方がいいのでは、と言われることもあったがボリスや自身をサポートする医療チームと相談した上で出場を決めたという。
2020年の東京五輪を見据え、手術は大会後に行うことに決め金を獲ることだけを考えた。
世界陸上の前哨戦となる欧米対抗戦では90m03を投げ好調のマグナス・キルト(エストニア)に勝利。
二連覇に向けて視界が良好になってきた。
世界ランク2位(90m03)で迎えた世界陸上ドーハでは同国のライバル、トーマス・ローラーとアンドレアス・ホフマンが相次いで予選敗退。
下馬評では世界ランク1位のマグナス・キルトが優勝候補と思われていたが、キルトが競技中に負傷し以後の投擲をパス。
本来ならばベターの一人舞台になるかと思われたが、一投目に86m89を投げたアンダーソン・ピーターズが終始トップを譲らず。
ベターは6投目も伸ばすことができず85m37で銅メダルに終わり連覇を逃してしまった。
ドーハ大会の後、予定通り左足の手術を受けた。
世界記録へ
昨シーズンは不本意な結果に終わったベターだったが、彼はここで終わらなかった。
コロナウイルスの蔓延により世界中のアスリートたちが思うように競技できない状態が続いていたが、夏ごろにようやく大きな大会が条件付きで開催できるようになった。
その矢先9月6日、歴史的な一投が飛び出した。
コンチネンタルツアーの一つ、カミラ・スコリモフスカメモリアルで97m76をマーク。
自己記録を大幅に更新したばかりではなく、1996年に樹立されて以来不滅の世界記録と思われていたヤン・ゼレズニー(チェコ)の98m48まであと1m足らずまで迫ったのである295mを超えたのもゼレズニー以来の快挙であった。。
世界大会での実績や、90m突破回数ではゼレズニーに比肩することは難しいが、世界記録の更新という点についてはついに現実的な距離まで到達してきたのがベターだった。
砲丸投げのライアン・クルーザーと同じく、投擲種目で世界記録を視野に入れることができる数少ない選手の一人となった。
97m76について、インタビューではこう言及している。
閉じた競技場でなければ、あと数メートルは伸びたはずだ。
良い感触はあったし、90mは超えるだろうと思ったが電光掲示板を見て少し驚いた。
97mはいつでも出せる記録ではないけどね。
ボリス:100m超えも不可能ではない
(ボリス)ヨハネスにはそのポテンシャルがある。彼にはまだ余力があり、それを発揮させるのが私の仕事だ。
ボリス曰くベターは「強い精神力を持っている。」らしく、97mを投げてからは毎度世界記録が期待され、届かなければ落胆される状況下にあってもリラックスして競技ができているという。
(ボリス)東京五輪が延期になって良かった。さらに技術を磨くことができるし十分な休養も取ることができる。
(ボリス)有望なドイツ選手の中でもジョジョのストレングスと柔軟性は群を抜いている。
東京五輪
2021年、87m27でシーズンを開始するとその後は91m50-91m12-94m20-93m20-96m29-93m59-92m14と、90mスローを連発。
6月13日のゲーツヘッド(イギリス)では助走路が濡れた悪条件が災いし85m25に留まった。
試合後ベターはインスタグラムで競技運営に対する不満を吐露した3【一部抜粋・翻訳】なんて酷い試合なんだ。今日の運営には本当にガッカリだ。トラックは滑るしTV放映の都合で待たされるなんてふざけている。プロアスリートに好パフォーマンスを期待しておいてそのための環境も用意できないなんて恥ずかしいことだ。
三日後のドイツ国内の試合でも86m48に留まった。
まさかの落選
予選に出場したベターは一投目82m04,二投目82m08と振るわず、三投目にようやく85m64を投げ決勝進出を決めた4予選通過標準記録は83m50。
決勝でも終始不本意な投擲が続き、一投目82m52を投げたが二投目・三投目はファウル。
9位に終わり、表彰台はおろかベスト8進出すら逃した。
試合後、インスタグラムにて“#Paris2024”とつづったのみで敗戦の弁を述べることはなかった。
家族・友人
祖父は東ドイツのナショナルチームにも参加していた優秀なスカイダイバーだった。
円盤投げロンドン五輪金メダリスト、ロバート・ハルティングとは非常に仲が良く、プライベートでもしばしば行動を共にする。
エピソード
学生時代の苦手科目はフランス語だった。
彼にとってやり投げは“楽しむべき趣味”。
2017年ダイアモンドリーグファイナルで4位に終わり「5万ドルを逃したね」と言われても「それがどうした。こっちは本当に楽しいから、趣味だからやってるんだ。趣味を職業にできるってんならこれ以上ないことだろ。」
と一蹴した。
オーバークフォル家との関係を強めた結果、ベビーシッターを任されることもあった。ボリスへの信頼は厚く、「常に彼を頼ることができるし、彼もそうだ。」と口にしている。
同国の強力なライバルたちについては「俺たちは波長が合っているから“オッケー、今日はソイツのほうが良かっただけだ”なんてことも言えるし、俺たちは他人の粗探しなんかしない。するなら自分自身に対してだ。皆やり方はそれぞれだけど、お互いに他人の成功は邪魔しないからね。」と答えている。
社会問題に強い関心を持つベターはオッフェンブルクの市議会議員でもあり、「支えてくれた地元に恩返ししたい」との想いから地元貢献に余念がない。
議員選挙に立候補した際「政治に関われるというだけでなく、自分でその手伝いができるっていうのがいいね。文句ばかり垂れるくせに自分からは何もしたくないっていうのは残念なことだと思っているからね。」との考えを示していた。
インタビューでやりの飛距離による安全性の懸念について質問されると、「競技者と競技役員の関係はお互い信頼の上で成り立っている。ギブアンドテイクだ」と持論を展開した。
「投げようという欲が先行しすぎている」とボリスから苦言を呈されたことがあり、ベター本人も自覚していた。
2011年、左肩に古代やり投げ選手のタトゥーを入れた。「やり投げが人生の一部になる」と悟った時のことだという。
2020年9月、欧州陸連から月刊MVPに選ばれた。97m76を評価されての受賞だった。
また、国際陸連のアスリート・オブ・ザ・イヤー2020にノミネートされている。
関連リンク
ワールドアスレティックス
https://worldathletics.org/athletes/germany/johannes-vetter-14408144
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