近年、記録ラッシュに沸いている男子砲丸投げ。とりわけ2019年は、30年止まった砲丸投げの歴史を今後大きく動かしていくような、そんな可能性を感じさせた一年だった。
22mの価値
東独のウルフ・ティンマーマンやウド・バイヤー、スイスのウェルナー・ギュンター、イタリアのアレッサンドロ・アンドレイら様々な名プッターが活躍した1980年代。
当時の22mというのは、大台と呼ぶには相応しい記録ではあったものの、ドリームと言うほどの記録ではなかった。
無論ありふれた記録ではなかったのだが、当時のメダリストクラスなら持っていても不思議はない距離であった。
実際、歴代上位の記録を見ると未だに80年代に出されたものが多く残っている。
ちなみに当時はまだグライド投法が主流で、回転投法はランディ・バーンズなど一部の選手だけが用いていた。
1990年代
ところが、これら名選手が引退したり衰えが見え始めたころから状況は一変した。
世界記録(23m12)こそかろうじて1990年に出されたものだが、この記録をマークしたランディ・バーンズ(アメリカ)は後に二度ドーピング違反を犯し陸上界を追放されている。
1993年頃まではギュンターが世界陸上を3連覇するなど80年代組で最も目覚ましい成績を挙げた。
しかし、記録的停滞は如実に表れた。22mを超える選手がほぼいなくなってしまったのである。
90年代に記録された22m台は8回。わずか3人の選手によってマークされたのみだった。
一方80年代には22mは61回も記録されており、中でも一番多かったのが86・87年。87年と言えば世界陸上第二回大会(ローマ)が開催された年である。この年だけで22mはなんと13回も記録されており、90年代にマークされた回数全て合わせた数よりも多い。突破者の人数も5人と多い。
ギュンターが引退してからはジョン・ゴディナが中心となって活躍し、22mを2回マークした。
90年代に入ると普及し始め、世界大会でも上位の成績を残すようになった。
2000年代
2000年代に入ると、徐々に22mをマークする選手も出てきた。この年代の中心となったのがアメリカの三銃士、アダム・ネルソン、リース・ホッファ、クリスチャン・キャントウェルである。
私もリアルタイムで彼らの活躍を見ていたから、個人的には印象の強い選手たちだ。
この3人の特徴はアメリカ勢であること、そして回転投法の選手であるということ。
90年代から広まりつつあった回転投法はもはやアメリカ選手お馴染みの投法になった。それに対し欧州ではグライドが主流であったことから、
回転のアメリカVSグライドの欧州
という構図で2000年代の砲丸投げは展開していた。
2000年代にマークされた22m台は26回で、6人の選手が投げている。
ただ、世界大会での22mに限った話をすると、1988年のソウル五輪でティンマーマンが22m47を投げて以来、2007年の世界陸上大阪でホッファが22m04を投げるまで19年ものギャップがある。
したがってこの時代でも22mは依然ドリームレコードとして存在していたと言える。
グライド投法ではアンドレイ・ミフネビッチ(ベラルーシ)が2008年に22m00をマークしたが、後にドーピング違反により抹消。
2010年代
2010年代は中盤までは世界大会ではグライドの選手に分があった。
だが22m越えは依然回転投法の選手によって占められており、グライドで唯一22mを超えたのはドイツのダビド・シュトールだけだ。
2010年代前半はマイェフスキやシュトールのようなグライドの選手が金メダルをさらっていた。
アメリカ勢はしばらく金が取れない状態が続いていたが、2015年北京世界陸上でジョー・コバクスがようやく金を奪回。
そして2016年、リオ五輪。
ある一人の選手が現れた。近年の砲丸投げにおけるターニングポイントだと思えるような大会だった。